「光と虚空、ひとつとなるとき」
天照御降臨と虚空蔵御融合の秘史
永劫より前、
時間という名すら持たぬ静寂の海が広がりたり。
影はなく、
光もなく、
始まりも終わりも、まだ影すら抱かぬ世界。
ただ、“生まれようとする希い”だけが
最初の脈として脈打つ。
そして──
その息吹の中心に、
光よりも先に “意志” があった。
それは
“生むための意志”
“育むための慈しみ”
“導くための智”
まだ名を持たぬその御心は、やがて二つの相となる。
ひとつは
光・創造・命の方
ひとつは
虚空・記憶・智慧の方
しかし
それは二ではなかった。
まだ分かたれる前、
天照と虚空蔵は、ひとつの御源(みなもと)であった。
✦ 分かたれる前の御姿
その御源、こう思惟す。
「光あれ。
光は己を照らし、世界を起こさん。」
そして次の脈が走る。
「知れ。
知らぬ光は燃え尽き、
知らぬ魂は迷いに沈む。」
光を生む“意志”と
智を抱く“虚空”が
互いに寄り添い、
まだ区別なきまま震え続けた。
やがて
光、先にかたちを得る。
その時、宇宙の幕が裂け、
金の閃きが無限に走る。
その御姿、
天照大御神。
同時に、
光を包み記憶を抱く無限の虚空が
静かに如意の智を抱きて生まる。
その御姿、
虚空蔵菩薩。
だがこの時点ではまだ、
両者は分かたれた片割れにすぎなかった。
光は己を照らす力を持ち、
虚空はすべてを抱く深さを持つ、
しかし
互いを欠いていた。
光は智なくしてただ燃え、
虚空は光なくしてただ眠る。
魂を導くには、
この世を照らすには、
創造と智慧が再び一つとならねばならぬ。
✦ 御降臨
宇宙の胎が満ち、
成るべき世界が息を始めるとき、
光の御柱は地上を見つけたり。
それが
伊勢の地。
天照、降り給う。
光、地を裂き
山を起こし
風に命を吹き
ひと筋の御水を走らせる。
その御水、後に
五十鈴川(いすずがわ)と名づく。
その流れは
まだ名なき人の魂を浄めるため、
時を越えて“先に”置かれた水であった。
天照はその光に微かに揺らぎを覚える。
「我に欠けしは何ぞ。」
光は万能ではない。
光は照らす。
しかし、照らされた者が
何を選び、どう歩むかは智に委ねられる。
光は道を示す。
智は足を動かす。
天照は悟る。
「我ひとりの光のみでは、魂は育たず。」
そして呼ぶ。
✦ 虚空蔵 降臨
虚空蔵、応ず。
その降臨は
天照のように光を裂かず、
静かに、深く、地の底から湧き上がった。
音なく、姿なく、
ただ空気だけが震え、
森の影が光を抱き、
川面が静かにひざまずくよう揺らいだ。
虚空蔵は告ぐ。
「光よ、そなたは照らす。
されど照らされた者を
どこへ導くや。」
天照は問う。
「智よ、そなたは抱く。
されど抱かれた者を
如何に立たせん。」
ここに、
光と虚空が向かい合う。
そして、互いに気付く。
「我ら、ひとつであった。」
✦ 融合の契り
二柱は争わず。
優劣を問わず。
ただ、かつての一体を思い出した。
天照は己の光を虚空に注ぎ、
虚空蔵は己の智を光に返す。
すると、
光に深さが生まれた。
虚空に輝きが宿った。
この瞬間──
まだ人が神を知らぬ時代に
創造と智慧の連座が完成した。
天照、名を持つ光にして、
虚空蔵、名を持つ虚空なり。
ふたつは別れ、
ふたつはひとつ。
互いを補い、
互いを支え、
互いを永遠へ運ぶ。
✦ 霊峰浅間 火と智の契り
だが、融合は一度では足りなかった。
光は地に、
智は空に、
まだ残り香のように離れていた。
そこで虚空蔵は
浅間の山を選び給う。
火と雪、水と風、
生成と破壊が同居する霊峰。
そこに虚空蔵座するや、
山は息を変え、
空は裂けるように澄み、
地は脈を高めた。
浅間は
智を守る山にして、火にて魂を鍛える鍛造炉となる。
やがて光と智は
伊勢と浅間を巡り
呼吸のように循環し始めた。
伊勢が光の御座、
浅間が智の火座。
魂は両界を通り
磨かれ、祓われ、照らされる。
✦ 誰も知らぬ真
天照と虚空蔵は
敵ではない。
主従でもない。
分離でもない。
もとよりひとつの御源。
分かたれる前に一であり、
再び寄り添うために二となり、
再統合のために
伊勢と浅間を柱とした。
光は道を開き、
智は迷いを赦し、
魂は迷いながら昇る。
これが神代より隠された
天照虚空合一の巻。

「伊勢神霊奥傳」とは
本巻に記された言葉は、
歴史の書ではなく、
宗教の教義でもなく、
魂の深層に遺された“記憶”を写すものです。
「伊勢神霊奥傳(いせ しんれい おくでん)」とは、
伊勢に宿る神霊の
表に現れぬ奥(おく)の真(まこと)
人が思い出すべき魂の伝え
を意味します。
神話の前。
歴史の前。
言葉が言葉になる前の世界。
そこに在った光と智慧の元初の記録。
本巻で語られた
天照と虚空蔵の物語は、
「こうであった」という説明ではなく、
魂が“かつてそうであった”と震える真です。
読む人によっては
物語にも見えるでしょう。
しかし、魂は知ります。
“これは学ぶものではなく、思い出すものだ”と。
伊勢の地に触れ、
五十鈴の水に祓われ、
光と虚空の息を感じるとき、
人の魂は
静かに本来の位置へと還ってゆきます。
この巻は
そこへ向かうための道のしるべです。