みちしるべ『心の架け橋』

伊勢の地から届ける、霊感霊視と魂の声の記録

【第8512話】──当たり前の違いと、書き続けてきた理由。

気がつけば、この記事で**「8512記事目」**になりました。
自分でも、正直……驚いています。

「よくここまで書き続けてきたな」
「よく、読んでくださる方がいてくださったな」

そう思わずにいられません。

もちろん、いつも調子が良かったわけではありません。
書きたくない時、書けない時、
気力も体力も尽きかけた日だって、たくさんありました。

それでも、どこかで「読んでくださる誰か」がいてくれる──
その思いだけで、手を止めずに、ここまで続けてこられたのです。

「伝えたい」
その一心で、言葉を紡いできました。

無料版と有料版。
似たような内容の日も、正直あります。

サービス回として、同じように書くこともあります。
最近は……その回数が少し多かったかもしれません。

有料版を読んでくださる皆様。
ごめんなさい。

でも、これにはちょっとした訳があります。

体調のことも、考えるようになりました。
以前のように無理がきかなくなってきたのかもしれません。

それでも、止めることができない。
やっぱり、誰かに伝えたくて、書いてしまう。

そうやって続けてきたブログ。

でも──最近、ふと考えるのです。

「これからの書き方で、いいのだろうか?」
「伝えることの“意味”が、変わってきてはいないだろうか?」

実は、昔からずっと、心のどこかにあった疑問でした。

書き手と読み手の“当たり前”は、違う。

書いている私にとっての当たり前と、
読んでくださる方にとっての当たり前。

そのズレは、いつも悩みの種です。

心を込めて書いても、届かないと感じる時。
ちょっと気を抜いたつもりが、誰かを傷つけてしまう時。
自分の言葉が空回りしている気がして、
「これでよかったのだろうか」と、ページを閉じてしまう時。

そんな日は、今もあります。

それでも、「伝える」という行為に、私は救われてきました。
だから、きっとこれからも、やめることはないでしょう。

でも、「伝え方」は少し変わるかもしれません。
有料版・無料版・片方になるかもしれません。
いや、変えていかなければならない気がしています。

どこまでが“心に届く文章”で、
どこからが“義務的な発信”になってしまうのか。

その境目を、これから見つめ直していきたいのです。

誰かに喜んでもらうために、
誰かの涙をそっと拭うために、

そんな一文が書けた時、
やっと、私自身の心も「生きている」と思えるから。

だからどうか、これからも、見守っていてください。

私は、「伝えたい」という願いを、
気力・体力を、もうしばらく、持ち続けていたいのです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
そして、8512回目の“出会い”に、心から感謝を込めて。

また、次の一文でお会いしましょう。

── 優より