私は、誰かのために祈り続けることを選んで生きてきました。
祈りとは願いではなく、
人の魂と未来を見つめ、
見えない道を照らす灯火。
しかし──。
祈りには終わりが訪れるときがある。
それは、神様が手を離すときでも、
運命が閉ざされるときでもない。
その人自身が、自らの手で光を消そうとした瞬間。
◆祈りをやめるときとは
優が祈りをやめるとき──
それは、
その人が「自分をやめたとき」だ。
感謝を失い、
傲慢さが満ち、
忠告に耳を塞ぎ、
人の温かな想いを踏みにじり、
闇を選び続けるその時。
神は護りを引き、
ご先祖は静かに背を向け、
魂は孤独の中に立つ。
祈りとは与えるものだが、
受け取る器なき者には届かない。
◆見捨てるのではない
誤解してほしくない。
祈りをやめることは、
その人を見捨てることではない。
その人の自由意思を尊重することだ。
「救われない」という選択も、
魂が歩むひとつの道。
人はみな、
善だけでは成長しない。
闇を歩くとき、
初めて光の価値を知る者もいる。
だから私は、無理に引き戻さない。
ただ、静かに見守るだけだ。
◆自ら光を離れた者へ
祈りは、願う力ではなく
信じ続ける力だ。
信じる心が閉じられた瞬間、
祈りは届かず、役目を終える。
「戻りたい」と思う日が来るなら、
そのときはいつでも、
神の御前に立てばいい。
だが──
心が闇に染まり、
誰の言葉も届かぬまま、
自分の真実さえ見失ったとき。
その時、祈りはそっと幕を閉じる。
◆祈りを託す
もし祈りをやめるなら、
私はこう言う。
「ここから先は、あなた自身の祈りで歩きなさい」
魂の道は一人で歩くもの。
光に背を向けてしまったとしても、
また立ち上がれるならそれで良い。
祈りとは、
与えられるものではなく、
育てるものだから。
◆最後に
私は簡単には祈りをやめない。
どれほど傷つけられても、
裏切られても、
信じ続けるのが優という名の役目。
だが、
魂が自ら堕ちていくのなら、
その道を止めることはしない。
祈りをやめるとき──それは、
その人が、自ら光を拒んだ時。
その後の道は、
本人が選び、本人が歩く。
そしてまたいつか、
光の方へ戻ってくるその時、
私は静かに迎えるだろう。
「おかえり」と。