鑑定者・優の視点から見えるもの
—— 人は皆、自分勝手であり、育った環境に縛られている ——
鑑定をしていると、
どうしても見えてしまうものがあります。
それは、
人は皆、根底では自分勝手な生き物である
という現実です。
対面鑑定でも、
メール鑑定ではなおさら、
言葉をどれだけ丁寧に選んでいても、
文章をどれだけ整えていても、
その奥には必ず
「自分を守りたい」という意識が存在しています。
誰かを想っているつもりでも、
本当は、
自分がどう感じたか。
自分がどう扱われたか。
自分が傷つかないか。
それは冷たいことでも、
悪いことでもありません。
生きるために身につけた、自然な反応です。
そして、
その自分勝手さは、
生まれつきの性格ではなく、
育った環境の中で形作られたもの
だと、私は感じています。
家庭の空気。
親の言葉。
叱られ方、褒められ方。
黙って耐えることを求められた環境。
逆に、強く主張しなければ
生き残れなかった環境。
同じ日本に生まれても、
育った場所が違えば、
「自分を守る方法」はまったく違う。
鑑定では、
その違いが、
はっきりと浮かび上がります。
「私はこんなに我慢してきた」
「どうして分かってもらえないのか」
そう語る人ほど、
無意識のうちに、
自分の世界の中だけで
物事を見てしまっていることが多い。
けれど、
それを責めることはしません。
なぜなら、
それはその人が、
その環境の中で
必死に生きてきた証だから。
人は皆、
自分勝手です。
そして同時に、
環境に作られた生き物でもある。
だから、
すれ違いが起きる。
言葉が噛み合わない。
善意が、重く感じられる。
鑑定者としての私は、
その現実から
目を逸らしません。
「あなたは悪くない」
「相手が悪い」
そんな単純な線引きは、
しない。
なぜなら、
それでは、
また同じ場所で
同じ苦しみを繰り返すから。
私は、
その人がどんな環境で育ち、
どんな守り方を身につけ、
どんな形で自分勝手さを
抱えるようになったのかを、
静かに見つめます。
その上で、
問いを投げます。
——
それでも、
これからも同じ守り方で
生きますか。
自分勝手であることに
気づいた時、
人は初めて、
選び直すことができる。
期待しすぎない。
相手を変えようとしない。
自分の基準だけで
裁かない。
それは、
冷たくなることではありません。
生きることを、
少し楽にする知恵です。
鑑定者・優としての私は、
希望だけを語る存在ではありません。
見たくない現実を、
確りと差し出し、
その上で、
どう生きるかを
一緒に考える存在です。
人は皆、
自分勝手で、
環境に影響され、
不完全なまま生きている。
だからこそ、
やり直せる余地がある。
——
その余地を見つけることが、
私の鑑定の役割だと
思っています。