みちしるべ『心の架け橋』

伊勢の地から届ける、霊感霊視と魂の声の記録

思考に人生の舵を渡してはいけない


思考が安定している時、人は不思議なほど静かです。
必要以上に誰かに聞こうともせず、何かを知ろうともせず、自分の中で物事を受け止めていられるものです。

けれど、ひとたび思考が不安定になると、人は急に知りたくなる。
聞きたくなる。
確かめたくなる。
答えを急ぎたくなる。

まるで、さっきまで平気だった心が、急に何かに怯え始めたかのように。

思考とは、本当に自分勝手なものです。
昨日は平気だったことに今日おびえ、
さっきまで信じていたことを急に疑い、
本来なら受け取れるはずだったチャンスさえ、自らの手で閉ざしてしまうことがある。

年に一度のチャンスも、
人生をプラスに切り替えられる大切な流れも、
手に入るか入らないかは、結局その時の思考の向きで決まってしまうことがあるのです。

そう思うと、私はとても悲しくなります。

人は“人生のかじ取り”を、あまりにも簡単に思考に任せすぎている。
不安になった思考、傷つきを恐れる思考、失うことを怖がる思考に、人生の大事な選択まで預けてしまっている。

けれど、本当にそれでいいのでしょうか。

思考は、確かに必要です。
現実を見て、判断し、行動するためには欠かせないものです。
ですが、思考はあくまでも道具であって、人生の主人ではありません。

思考は不安が強くなると、目の前の安心ばかりを欲しがります。
今すぐ答えがほしい。
今すぐ不安を消したい。
今すぐ確かなものがほしい。
そうやって、心を守ろうと必死になります。

ですが、その必死さが、ときに未来の可能性を狭めてしまうのです。

本当は、少し待てば流れが変わるかもしれない。
本当は、一歩踏み出せば開く扉があるかもしれない。
本当は、怖さの向こうにこそ、年に一度の大きなご縁や好転の流れが待っているかもしれない。

それなのに、思考は「やめておこう」「傷つくかもしれない」「無理かもしれない」と言って、人生を小さくまとめようとする。

そのたびに私は思うのです。
人間は、もっと深いところにある感覚を信じてもいいのではないかと。

思考の奥には、もっと静かな声があります。
焦らせる声ではなく、静かに導く声。
脅す声ではなく、見守る声。
不安から答えを欲しがる声ではなく、本当の意味で自分を生かそうとする声です。

人生の舵を握るべきなのは、揺れ続ける思考だけではない。
もっと深い、自分の本質の声なのだと思います。

思考に任せきれば、楽なようでいて苦しくなる。
なぜなら思考は、その時々の感情に簡単に飲まれるからです。
けれど、自分の奥にある静けさに少しでも触れられた時、人は選び方が変わります。
見る景色も変わります。
同じ出来事でさえ、まったく違う意味を持ち始めます。

不安定な時に知りたくなるのも、聞きたくなるのも、人として自然なこと。
それ自体が悪いのではありません。
ただ、その不安定な思考に人生すべてを任せてはいけないのです。

年に一度のチャンスを受け取るのも、
流れを変える扉を開くのも、
結局は「どの自分でそれを見つめるか」によって変わってくる。

怯えた思考で見るのか。
静かな心で見るのか。
それだけで、人生の受け取り方は大きく変わります。

私は時々、とても悲しくなります。
人が本来受け取れたはずの幸せを、
自分の思考によって遠ざけてしまう姿を見ると、どうしても悲しくなるのです。

けれど同時に思うのです。
気づいた人から、人生の舵は取り戻せるのだと。

思考は使うもの。
振り回されるものではない。
人生を決めるのは、不安に揺れる思考だけではない。

だからこそ今、改めて自分に問いかけたいのです。
私は人生の舵を、何に握らせているのか。
揺れる思考か。
それとも、もっと深いところにある本当の自分か。

その問いに向き合うことが、人生を取り戻す最初の一歩なのだと思います。