思い出は、置いてきた。
――余命宣告されてから。
あの日から、
人生の見え方が変わりました。
時間の流れ。
朝の光。
夜の静けさ。
人の言葉。
当たり前だったものが、
当たり前ではなくなった。
そして何より――
「思い出」の意味が変わってしまったのです。
昔は違いました。
思い出とは、
苦しい時に自分を支えてくれるものだった。
笑った日。
愛した人。
守りたかった時間。
小さな幸せ。
思い出せば、少し温かくなれた。
でも――
余命宣告という現実を知ってから、
それは静かに姿を変えていった。
思い出すほど、苦しくなる。
もう戻れない。
もう二度と触れられない。
もう同じ時間は来ない。
その現実ばかりが、
胸の奥を静かに締め付ける。
だから私は、
思い出を置いてきた。
置いていかなければ、
前を向けなかったから。
本当は、持っていたかったですよ。
誰だってそうです。
幸せだった記憶を抱えて、
「あの頃は良かったね」と笑いながら生きたかった。
でも私には、出来なかった。
思い出を抱えたままでは、
苦しすぎた。
だから置いてきた。
忘れようとした。
振り返らないようにした。
でも――
経験だけは、置いていけなかった。
苦しかった事。
耐え続けた事。
孤独だった時間。
涙を飲み込んだ夜。
壊れそうになりながらも、生き続けた現実。
それだけは、
どうしても消えなかった。
まるで神様に、
「それは持って行け」
と言われているように。
最初は分かりませんでした。
なぜ、こんな苦しい経験ばかり残るのか。
なぜ、忘れさせてくれないのか。
でも今なら少し分かります。
これは――
人の痛みを知るためだった。
霊視だけでは届かない場所がある。
本当に壊れそうな人間の静けさ。
笑顔の裏側。
「大丈夫」の奥にある絶望。
それは、
同じように苦しみ抜いた人間にしか分からない。
だから私は、感じてしまう。
強がっている人。
限界を隠している人。
誰にも言えず、必死に耐えている人。
経験が、伝えてくる。
思い出は置いてきたはずなのに、
経験だけは今も私の中で生き続けている。
そして時々、
ふっと蘇るのです。
風の匂い。
景色。
言葉。
小さな仕草。
その瞬間だけ、
置いてきたはずの思い出が胸を叩く。
切ないですよ。
本当は――
ただ普通に、
幸せだった思い出を抱えて生きたかった。
でも私の人生は、
思い出を抱く人生ではなかった。
経験を力に変える人生だった。
だから今日も私は、
置いてきた思い出ではなく、
持ってきた経験で、人を見ている。
神様に必要だと言われた、
この力と共に。