私は思う。
私はまだ生きている。
けれど――
普通の状態ではない。
左側半分の心臓。
そして、細い神様の血管一本だけで、
どうにか血液と酸素を運び、生きている。
冠動脈は、すべて塞がっている。
本来なら――
もう死んでいてもおかしくない状態です。
だから当然、
手も足も冷たい。
氷のように冷える。
痛みもある。
動きも悪い。
息苦しい日もある。
「普通」なんて、とっくに失っている。
それでも――
私は生きている。
いや、
ただ生かされているだけではない。
やろうと決意したことを、
私はやり遂げている。
倒れそうになっても。
体が悲鳴を上げても。
限界を超えていても。
それでも前へ進む。
なぜか。
生きるとは、
そういうことだからです。
ここで私は、どうしても問いたい。
五体満足な身体を持ち。
歩ける。
食べられる。
動ける。
働ける。
考えられる。
それなのに――
何も決断できない人が、あまりにも多い。
「今じゃない」
「タイミングが…」
「失敗したら怖い」
「自信がない」
「まだ準備が…」
いつまで言うのですか?
人生が終わるその日まで、
ずっと言い続けるのですか?
私は、はっきり言います。
それは――
“追い詰められたことがない人間”です。
本当に追い詰められたら、
人は嫌でも動きます。
選べないのではない。
動かなければ、終わるからです。
だから必死になる。
だから覚悟が決まる。
だから変わる。
でも私は思うのです。
本当は――
追い詰められなくても動けなければならない。
崖から落ちる寸前になってからでは遅い。
失ってから気づくのでは遅い。
体を壊してから。
愛する人を失ってから。
人生が壊れてから。
その時になって初めて、
「もっと早く動けばよかった」
そう泣く人が多すぎる。
だから私は、
五体満足な身体を持ちながら、
言い訳ばかりして動かない人を見ると――
正直、悔しいのです。
ふざけるなと思う。
動ける足があるだろう。
掴める手があるだろう。
考えられる頭があるだろう。
生きているだろう。
だったら――
生きろよ。
本気で。
そして、もう一つ。
どうしても伝えたいことがある。
生きるとは――
余命がなくなってから考えるものではない。
余命が“読めない時”に、
考えてほしいのです。
人は、
「まだ大丈夫」
そう思っている。
明日も来る。
来年もある。
まだ時間はある。
そうやって、
先延ばしにする。
でも現実は違う。
命とは――
突然、崩れる。
ある日突然、
医師から言われる。
もう時間がないと。
その瞬間になって、
人は慌てる。
生きたい。
まだ死にたくない。
もっとやりたかった。
伝えたかった。
会いたかった。
泣きながら、そう言う。
だったら――
なぜ今、生きない。
なぜ今、動かない。
なぜ今、伝えない。
私は、
いつ死んでもおかしくない状況になった時、
必死に伝えたくなった。
甘えるなと。
ふざけるなと。
人間の命を、
軽く見るなと。
命とは、
永遠ではない。
命とは、
“そのうち”が保証されたものではない。
だから考えろよ。
あなたは、
本当に生きているのか。
ただ時間を消費しているだけなのか。
怖いから逃げる。
面倒だから後回し。
傷つきたくないから動かない。
そんな生き方で――
最後、本当に後悔しないのか。
私は、
死を近く感じたからこそ分かった。
人間は、
いつ終わるか分からない。
だからこそ――
今日を生きなければならない。
本気で。