私は、超えて来た。
だからこそ言えるのです。
幼い頃から今まで――
心も。
体も。
人生も。
何一つ簡単ではなかった。
消えたくなる夜もあった。
もう終わりたいと思った事もあった。
「なんで私ばかり」
そう思った事なんて、
一度や二度ではありません。
でも――
そこで私は気づかされた。
苦しみ続ける人間には、
二つの道がある事を。
一つは、
苦しみを理由に止まり続ける人生。
もう一つは、
苦しみを越えていく人生。
この差は、あまりにも大きい。
苦しい。
辛い。
しんどい。
それは分かる。
本当に苦しい時、
人は自分を“悲劇の主人公”として見始める。
「誰も分かってくれない」
「私だけが苦しい」
「なんで私ばかり」
そうやって、
苦しみを握り締めながら生きるようになる。
でも――
私は超えて来たから分かるのです。
そこに居続けても、
人生は何も変わらない。
むしろ苦しみは、
どんどん自分を飲み込んでいく。
最初は“傷”だったものが、
次第に“自分そのもの”になっていく。
すると人は、
抜け出せなくなる。
可哀想な自分。
傷ついた自分。
理解されない自分。
そこに居場所を作ってしまう。
でも、そこは居場所ではない。
ただの“止まった場所”です。
厳しいですよね。
でも、私は綺麗事を言いたいのではありません。
本当に苦しんだからこそ、
言える事がある。
修行のような人生は、確かにある。
逃げたくなる人生もある。
「もう無理だ」と崩れ落ちる日もある。
でも――
そこでずっと、
「私は可哀想」
「私は不幸だ」
そこに座り続けても、
誰も人生を変えてはくれない。
最後は、自分です。
自分で立ち上がるしかない。
私は何度も、
人生に叩き潰されました。
余命。
苦しみ。
孤独。
裏切り。
絶望。
何度も終わりを見た。
でも――
その度に思った。
「このまま終わってたまるか」と。
だから今、私は言える。
悲劇のヒロインを続けるのか。
それとも――
傷だらけでも、自分の足で立つのか。
人生は、そこを見ている。
苦しみがある事が問題ではない。
苦しみを理由に、
人生を止める事が問題なのです。
私は超えて来た。
だからこそ、甘やかさない。
でも同時に、
本当に苦しい事も知っている。
だから伝えたい。
あなたは、
「可哀想な自分」を生きる為に生まれてきたのではない。
苦しみを越え、
自分の人生を生きる為に、
今ここにいるのです。