人はよく言います。
「運が良かった」
「たまたま助かった」
「奇跡だった」
と。
でも私は、
その“たまたま”の裏側には――
ずっと、
ずっと、
見守り続けていた存在があると思っています。
先祖です。
先祖達は、
普段からベタベタと前に出てくる訳ではありません。
毎日、
「こっちだ」
「ああしろ」
「こうしろ」
そんな風には動かない。
むしろ――
かなり静かです。
だから人は、
「何もない」
「守られていない」
と思い込む。
けれど本当は、
ずっと見ている。
あなたが転ぶ姿も。
悩む姿も。
間違える姿も。
強がる姿も。
全部、
見ているのです。
そして――
内心は、
かなりイライラしている事もある。
「なんでそんな方向へ行く」
「だから違うと言っただろう」
「そっちじゃない」
そんな空気を感じる時もあります。
でも、
先祖達は簡単には手を出さない。
なぜなら――
人間には、
自分で気付く学びも必要だからです。
自分で転び、
自分で苦しみ、
自分で考える。
そこを飛ばしてしまうと、
魂も現実も弱くなる。
だから、
ギリギリまで見守る。
本当に、
最後の最後まで。
そして――
「これはもう危ない」
「このままでは戻れない」
「本当に人生が壊れる」
そう感じた時。
スッ……と、
愛の手を差し出してくれる。
不思議なタイミングで、
人と出会う。
助かる情報が入る。
なぜか予定がズレる。
事故寸前で止まる。
行くはずだった場所へ行けなくなる。
もう駄目だと思った時に、
誰かが現れる。
これを人は、
「運が良かった」
と言う。
でも、
違うのです。
そこまで、
見守り続けていた存在がいる。
諦めずに、
怒りながらも、
心配しながらも、
「まだ生きろ」
「まだ終わるな」
そうやって、
押し戻してくれる存在がいるのです。
そして面白い事に――
信じる人には、
その後、
特別な“流れ”が起こる事が多い。
必要な出会い。
必要な気付き。
必要な現実。
まるで、
「やっと気付いたか」
と言わんばかりに、
流れが変わり始める。
これは、
スピリチュアルごっこではありません。
現実です。
本当に人生ギリギリを経験した人ほど、
この感覚を知っています。
人間だけの力では、
説明できない事がある。
でも、
だからといって、
全部を神頼みにする話でもない。
先祖は、
人生を代わりに生きてはくれません。
歩くのは、
あなた自身です。
ただ――
本当に最後の最後、
どうにもならなくなった時。
それでも諦めず、
あなたを見守り続けている存在がいる。
私は、
そう思っています。