守り本尊という存在 ― そして、現実という流れ
今回の守り本尊企画。
正直に言えば――
私は、
少し複雑な気持ちです。
初めて出した企画でした。
ですが、
やはり守り本尊という存在は、
人にとってまだ遠いのでしょうね。
見えない。
分からない。
でも確かに居る。
それが、
守り本尊です。
だからこそ私は、
少し切なさを感じています。
守り本尊とは――
苦しい時だけ呼ぶ存在ではありません。
人生が崩れそうな時。
壊れそうな時。
誰にも分かってもらえない時。
それでも、
魂のすぐ後ろで立ち続けている存在。
それが、
守り本尊です。
私は、
霊感霊視50年の中で、
何度も見てきました。
「何故この人は壊れなかったのか」
「何故ここで助かったのか」
「何故生き残ったのか」
そこには、
必ずと言っていいほど、
守り本尊の働きがありました。
ですが現実は、
見えないものほど伝わりにくい。
困った時だけの、
神頼み仏頼み。
そんな言葉があります。
ですが私は今回、
改めて感じたのです。
元々――
守り本尊とは、
“有難い存在”とは、
あまり思われていないのかもしれない…と。
そう感じると、
少し寂しいですね。
守り本尊とは、
可哀そうな存在でもあります。
ずっと守っていても、
気づかれない。
感謝される事も少ない。
それでも、
黙って立ち続ける。
それが、
守り本尊なのです。
申込は5月20日までです。
誰一人としていない寂しさ。
おそらく――
最初で最後の企画になると思います。
ですが私は、
これから先も、
守り本尊の有難味だけは、
一生涯大切にしていこうと思っています。
そして、
もう一つ。
最近、
強く感じている事があります。
今年に入り、
私は対面鑑定を少しずつ減らそうとしていました。
すると面白いほど、
対面数は減っていきました。
もちろん、
同業者が増えた事もあるでしょう。
ですが、
私はこうも感じています。
この5年の間に――
苦しかった人達が、
少しずつ抜け出していったのではないか。
悩み続けていた方々が、
現実を動かし、
前へ進み始めたのではないか。
だから、
私が必要ではなくなってきた。
もしそれが本当なら、
私は少し嬉しいのです。
役目とは、
永遠に依存させる事ではありません。
苦しみから抜け出し、
歩けるようになる事。
それが、
本当の意味での“役目”なのだと思うからです。
ですが一方で、
現実もあります。
この地の人口は少ないです。
そして今――
逆に遠方から来てくださる方々が、
増えています。
これもまた、
現実なのです。
私の体は、
決して自由ではありません。
心臓もそう。
血管もそう。
色々あります。
ですが、
足の治療だけは、
少し先が見えてきました。
完治したとしても、
皆さんのようには歩けないでしょう。
ですが、
行動範囲は広がると思っています。
すると今、
再び感じ始めているのです。
「私を必要としている方々が多い場所へ、
行ってみるのも一つなのではないか」と。
役に立つ事も、
生きる事。
ですが――
現実的に、
私自身も生きていかなければならない。
治療もある。
生活もある。
生きるには、
先に立つものも必要ですからね。(笑)
だから、
やむを得ず、
選択も必要なのでしょう。
その様な思いから最近は、
寂しいです。
静かな日々です。
でも私は、
この静けさの中で、
もう一度考えてみようと思っています。
自分は、
どこで、
誰の役に立てるのかを。