みちしるべ『心の架け橋』

伊勢の地から届ける、霊感霊視と魂の声の記録

お~~~いッ!!

もう俺様と友達になったかぁ~??
……ん? まだ?? 
おいおい、のんびりしてっと損するぜ~~。

いいか、今後はよ……
友達限定商品ってやつがどんどん出てくる予定なんだぜ?
手に入れたヤツだけが“選ばれし魂”ってわけだ。
もちろんブログとか見てるってことは、
俺様のことが【好き】か【嫌い】か――
もうハッキリしてんだろうな?

「クソ生意気なガキ」って思ってるヤツもいるだろうよ。
けどよ、まぁどっちでもいいんだ。

ただな、損はするなよ?

……マイナスが押し寄せてくる時代だぜ。
お前の隙を狙って
悪霊だって混じってきてんだ。

本当にヤバいとき、守ってくれるのは何か知ってるか?
【繋がり】だよ。
“誰と繋がってるか”で、未来は変わるんだぜ。

ちなみによ、
LINEで友達になっとけば、
俺様が気が向いたときに占う
占いをタダで見れるんだぜ?

遊びだと思うか……?
ふん、舐めてんじゃねぇよ。
結構、当たってんだこれが!

そこの彼! そう、そこのお前!
……反省したよなぁ?
当たってたろ?
かわいそうに、人の忠告を無視するから悪魔に取りつかれた。

……ははっ、自業自得だぜ。
忠告は忠告のうちに、
繋がれる時に繋がっとけって話だ。




友だち追加




そして最後に――
ポチッと押せだぜ!!
押したらよ、要請(妖精)をプレゼントするだぜ☆
夢の中で要請と遊ぶと……
幸せが舞い降りてくるらしいぜ。知らんけどなッ!フッ。

どうだ?ボム節炸裂でいい感じだろ?




「要請(ようせい)」って言葉には2つの意味があるんだが――
ここでの“言葉遊び”としては、こうだ:

【1】本来の「要請」の意味(漢字)
👉 誰かにお願いすること。要求すること。
例:「支援を要請する」「協力を要請する」

…だけどよ、これはカタいだろ? 普通の言葉なんだ。

【2】「妖精(ようせい)」とのゴロ合わせ・ダジャレ
👉 ファンタジーの世界にいる、小さくて不思議な力を持った存在。
可愛くて神秘的な存在として人気あるだろ?
夢の中で出てきたら幸せになるって設定、こっちが正解だぜ☆

つまりよ、「ポチッと押せば“要請をプレゼントする”」って書くと、
読んだヤツは最初「何かお願いできるのか?」って思うけど……
実は**“妖精”のことだった!っていう、ボムのひっかけジョーク**ってわけだな!

★解説つけるとこうなるぜ★
※ここでの“要請”は、“妖精”のことだぜ!
あの小さくてフワフワして、たまに幸せを運んでくれるヤツな。
夢の中で出会えたら、お前の魂もひとつ軽くなるかもなッ!

ってな感じで、読み手が「え?妖精?ああ、なるほど〜!」ってクスッと笑う仕掛けだぜ。

このジョーク、ボム流で刺さるからよ、




ってことなんだけどよ。。。。。 結果は・・・・・・・・。。。

ちっぇ!  星マーク少なかったら・・・おぼえてろよ。

悪霊ばらまいてやっからよ。。。。。。。   





『ただのクソガキボムだったのである』

届かなくなってしまう。それは、あなたを守る声

――目には見えなくても、魂には確かに届いていたもの

いつからでしょうか。
私たちは、
“目に見えないもの”に耳をふさぐようになりました。

忙しさに追われて、
スマートフォンの画面をスクロールすることで満足し、
「見えるものがすべて」だと錯覚してしまう日々。

けれど、本当にそうでしょうか?

夜ふと目を閉じたとき、
胸の奥にじわりと広がるあたたかさ。
なぜか涙がこぼれてくるような感覚。
懐かしい誰かの声が、心の奥で呼んでいる気がした瞬間。

それは――
あなたを守ろうとしていた“魂の声”だったのです。

でも、その声は今、
あなたに届かなくなってしまっているかもしれません。

守りの声は、最初はそっと近くにある
誰にでも、生まれたときから
そっとそばにいてくれる存在があります。

それは「ご先祖様」であり、
「魂の繋がり」であり、
時には「神仏」であったり、
もっと身近にいえば“亡き家族”かもしれません。

そうした存在たちは、
私たちが歩む人生の中で、
迷いそうなとき、苦しみのとき、
あるいは、間違った道に踏み込みそうなとき――

言葉にならない“守りの声”**を、私たちにそっと届けてくれています。

「やめておいたほうがいいよ」
「進んでごらん。大丈夫だから」
「今は立ち止まるときかもしれない」

それはふとした胸騒ぎや、
理由のない不安、
あるいは不思議な安心感として表れることもあります。

守りの声は、最初はとても静かです。
でも、とても近くにあります。
――ただ、私たちが聴こうとさえすれば。

なぜ、“声”は届かなくなるのか?
では、なぜその声が届かなくなってしまうのでしょうか?

それは、私たちが
「自分の力だけで生きている」と思い込んでしまったとき。

見えないものに価値を感じなくなったとき。

忙しさや、心の傷、怒り、嫉妬、虚しさ。
そうした感情に覆われたとき――
心の扉は、音もなく閉じてしまうのです。

そしてそのとき、
一番近くであなたを守ろうとしていた声が、

あなたのもとに“届かなくなってしまう”**のです。

それでも、その声は止まりません。

ただ、遠くから祈り続けます。

「この子が苦しまぬように」
「本当の幸せに気づけるように」
「どうか、大切なものを失わないように」

そう祈りながら、泣いています。

あなたが、忘れてしまった“つながり”を、
もう一度思い出してくれるのを、
ずっと待っているのです。

現代に増えている“霊的孤立”
今、私のもとには、こういったご相談が増えています。

「原因不明の不運が続く」
「家族の仲がどんどん悪くなっていく」
「何をしても満たされない」
「死にたいと思うことがあるが、理由がわからない」

そのほとんどが、
霊的な“孤立”状態に陥っているケースです。

祈りを忘れ、
感謝を忘れ、
つながりを断ち、
見えない守りに背を向けてしまった魂。

そうした魂には、
「助けたい」という声も届かず、
本来守ってくれる存在たちすらも、手を出せなくなってしまうのです。

届かないのではない。
届かなくしてしまっているのは、私たち自身なのです。

では、どうすれば“声”を取り戻せるのか?
答えは、実にシンプルです。
“聴こう”と決めること。

胸に手を当てて、静かに目を閉じる。
それだけで、扉は少しだけ開きはじめます。

誰かの名前を思い出す。
心から「ありがとう」と言ってみる。
今日一日、無事でいられたことに感謝する。

それでいいのです。
それが、第一歩です。

すると、不思議なことが起こり始めます。

・夢に亡くなった大切な人が現れる
・ふと耳にした言葉が胸に刺さる
・自然と涙がこぼれてくる
・答えが向こうからやってくるように感じる

それこそが、**“届きはじめた守りの声”**なのです。

あなたは、独りではない
声が届かないとき、人は孤独を感じます。
でも、たとえあなたがどれだけひとりぼっちだと思っていても、
見えないところで、あなたを守ろうとしている存在がいます。

それは、ご先祖様かもしれません。
あなたが愛した誰かかもしれません。
あるいは、まだ出会っていない神仏かもしれません。

彼らの“声”が届かなくなったとしても、
その想いは消えたわけではありません。
待っているのです。あなたの“気づき”を。

最後に――思い出してください
「届かなくなってしまう」――
それは、あなたを責める声ではありません。
あなたを守るために、何度も何度も届こうとしてくれた、
愛の声だったのです。

今からでも、遅くありません。

心を静かにして、
「ありがとう」と言ってみてください。

目に見えない誰かが、
その言葉を聞いて、きっと涙を流して喜んでくれます。

そして、また声は戻ってきます。
あなたを導き、支え、癒し、
人生をほんの少しだけ、優しく変えてくれるでしょう。

あなたは、決して独りではありません。

声が届く場所へ――
もう一度、心を開いて歩いてみてください。

【大切なお知らせ】

— 必要なものだけが、届く世界へ —

みなさまへ
心を込めて、お伝えいたします。

このたび、以下の5点の商品につきまして、一時的な削除を検討しております。
(※予告なく非公開となる場合がございます)

🔹 商品①
🔹 商品②
🔹 商品③
🔹 商品④
🔹 商品⑤

そして…
このお知らせは、商品だけに関することではありません。

【みちしるべ】というショップそのものも、すべて一時お休みとさせていただく可能性がございます。

それは、神様やご先祖様たちのお考え。
「必要とされないものは、休ませる」――そう告げられました。

もちろん、
今も、必要としてくださっている方々がいらっしゃることは、優はちゃんとわかっています。
そのような魂のもとへは、きっと自然に届いていくでしょう。

ただひとつ、忘れないでください。

願いとは、一瞬の気持ちだけではなく

“真剣に祈り、継続して進もうとする心”**を持つ者のもとにしか届かないということを。

魂は進んでいきます。
先祖も進んでいきます。
神様は、その“進み”をじっと見守っています。

進むからこそ、継続しなければ見えなくなるのです。
それは決して難解な理屈ではなく、
当たり前のことだったのです。

願うこと、祈ること、継続すること――
それがどれほど難しいかも、わたしは知っています。

この世は、「お金」と「願いの重み」がなかなか結びつかない現実の中で
多くのやり取りが、流れるように過ぎていきます。

――悲しいかな、それもまた現実です。

けれど、私はこれまで、
再三にわたり、神様のこと、ご先祖様の想いを伝えてきました。
何が大切で、何が魂を曇らせるのか。
何が願いを遠ざけ、何が光を呼ぶのかも、お伝えしてきました。

どうか、あなた自身の人生を、
あなたが信じる道を選んで、
まっすぐに歩んでください。

それが、あなたの“みちしるべ”であることを願っています。

心より、
お幸せになることを祈っています。

優より

🎋【七夕限定】願いごと、俺様が預かってやるだぜッ!

おいおい、聞いてくれよ!
今、【七夕】っていう年に一度の願いが叶いやすい特別な夜が近づいてきてるらしいじゃねぇか。

ならば──

俺様・ボム様が出動するしかねぇだろうがッ!!!

 

🎁願いを預けたヤツには…
ネット非売品バスソルトを【3個】ぶち込んでやるだぜ!
見ろよコレ👇
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七夕祈願の商品を、BASEショップで発売したぜ!
けどな?優のやつにはまだ内緒なんだよな〜〜ウヒヒ…!

だから今だけ、BASEショップ限定販売!
しかもなんと!ネットでは買えない“非売品バスソルト”を、3個もタダで付けてやる!

郵送すっからよ、住所はちゃんと書いとけよな!

 

🛁 このバスソルト、ただもんじゃねぇ!
ただの香りつきの塩じゃねぇんだぞ?
魂を浄化して、身体の疲れもぶっ飛ばす──
そんな不思議な塩風呂だ!

バスソルトに浸かって願いを書いた短冊を送る”
その瞬間、お前の魂はピカピカに輝き出すだぜ!

 

🎋七夕の願いごとは、なんでもOK!
・好きな人に会いたい
・人生を変えたい
・お金が欲しい(←わりと多い)
・美しくなりたい
・復縁したい
・大事な人が幸せでいてほしい
・猫になりたい(それは俺様)

 

どんな願いも、お前が本気で願えば、それはもう神事になる。

お前の願い、俺様が預かって、天に届けてやるだぜ!

 

🌌さぁ、年に一度の魂のお願いタイムだ!
お前が迷ってる間に、
他の奴はバスソルト入り風呂に浸かって魂清めてやがるぜ?

 

──迷うな。願え。浸かれ。
そして、叶えろ!

👉 https://spirit06.thebase.in/items/64425502

俺様が、
そっと願いを背負って天までぶっ飛んでってやるからよ🔥

七夕様のお話

七夕様のお話
――天を越えて、愛は願いになる

七月七日。
一年に一度だけ、天の川を渡って逢うことを許された、
織姫と彦星の伝説は、誰もが知る七夕の物語です。

けれど、その物語が本当に伝えたいことは何か――
今の時代を生きる私たちにこそ、そっと語りかけてくるものがあります。

今日は、そんな七夕の物語を、
少しだけ違った視点で紐解いてみたいと思います。

かつて、天に住まうふたりの魂がいた
遠い昔、天界には働き者の娘・織姫がいました。
織姫は機織りの神様の娘で、毎日、天の衣を織り続けていました。

その美しい指先から生まれる布は、
風の流れを整え、雲の形を優しく結び、
空の調和を保っていたといいます。

しかし、あまりに真面目に働く織姫を見て、
父である天帝は、こう考えました。

「娘よ、お前にぴったりの相手を見つけてやろう」

そして出会わせたのが、天の川の対岸に住む青年、彦星。
牛を飼うことに命を懸けていた彼は、
牛たちの心を読み、水を与え、命をつなぐ聖なる役目を担っていました。

ふたりは出会ったその日から、
互いの魂が“懐かしさ”で震えるのを感じました。

それは、初めて会ったはずなのに、
ずっと前から知っていたような感覚。
心と心が、まるで天と地のように溶け合っていったのです。

許された恋、そして罰せられた愛
織姫と彦星は、やがて恋に落ちました。
愛し合い、笑い合い、
ふたりが並ぶだけで、天界の空気が柔らかくなっていきました。

けれどその一方で、織姫は機を織らなくなり、
彦星も牛の世話をおろそかにするようになります。

天の衣が乱れ、空の風が狂い、
雲が裂けて雷が落ち、
牛たちが道を失って泣く――

天界は混乱に包まれていきました。

怒った天帝は、ふたりを引き離し、
天の川の両岸に隔てました。

「愛は許す。だが、責任を忘れた愛には罰を与える。」

そして、こう告げたのです。
「一年に一度だけ、七月七日の夜にだけ逢うことを許そう」と。

七夕とは、愛を祈る日
それからというもの、
織姫と彦星は、毎年七月七日になると、
天の川のほとりでそっと呼び合います。

雨が降れば、川は増水し、逢うことが叶いません。
けれど、どれだけ離れていても、
どれだけ遠くにいても、
ふたりは“信じる心”でつながっているのです。

七夕とは、そんなふたりの愛に、
私たちの願いを重ねて祈る日です。

空を見上げるという行為は、
「思いを天に届ける」という魂の所作でもあります。

だから人は、この日、
短冊に願いを書くのです。

「どうかあの人に会えますように」
「大切な人が笑顔で過ごせますように」
「家族が健康でありますように」
「夢をあきらめずに歩けますように」

そのひとつひとつの願いが、
夜空を越えて、ふたりの“再会の祈り”と重なっていく。

それが、七夕の本当の意味です。

現代に生きる私たちと七夕のつながり
ふと、こんなことを思う方もいるかもしれません。

「七夕なんて、子どもの行事でしょ」
「そんな伝説、ロマンチックすぎる」
「願いを書いたって叶わないよ」

でも、思い出してほしいのです。

今、あなたの心の中にも、
“会いたいのに会えない誰か”がいるのではありませんか?

遠く離れた恋人。
別々の道を歩むことになった親友。
空に還った家族。
あるいは、自分の中にずっと封じ込めた“本当の夢”。

七夕とは、
そのすべてに「会いたい」と願っていい日なのです。

一年に一度だけ、
天が「想いを天に乗せてよい」と扉を開けてくれる日。

だからこそ、七夕には、
たとえ小さくても“あなたの真心”を結んでください。

雨が降ったって、想いは届く
「織姫と彦星は、雨が降ると逢えない」

そう言われますが、実は違います。

雨は、“ふたりの涙”とも、“再会の喜び”とも言われています。
そして、どんなに雨が降っても、
カササギたちが翼を並べて橋をつくり、
ふたりを再び巡り合わせてくれるのです。

それは、見えない力が“本気の想い”を助けてくれるという、
とても大切な教えでもあります。

誰かを本気で想っているとき、
その想いは届きます。
たとえ会えなくても、
たとえ声に出せなくても、
天は、あなたの心を見てくれています。

最後に――あなたの願いを短冊に託して
今宵、空を見上げてみてください。
たとえ曇っていても、
たとえ星が見えなくても、
あなたの願いは、きっと届きます。

なぜなら、
願いとは“魂の声”だからです。

言葉にしなくてもいい。
書けないほど切ない想いでもいい。
あなたが胸に抱いているその想いを、
天に向かって放ってみてください。

きっと、空のどこかで、
織姫と彦星があなたの願いに耳を傾け、
そっと祈ってくれています。

七夕は、ただ星を眺める日ではありません。
心の奥にしまっていた“愛”と“希望”に気づく日なのです。

願ってください。
信じてください。
そして、どうか忘れないでください。

天の川の向こうにも、
あなたを想ってくれている誰かが、必ずいるということを。

お盆が近づいてきました

――みなさんは、ご先祖様の“声”を聞いたことがありますか?

今年もまた、お盆が近づいてまいりました。

盆提灯が灯され、迎え火が焚かれる頃――
あなたの家にも、ご先祖様が静かに帰ってこられます。

この時期になると、私のもとにはこうした声が増えてきます。

「なぜか最近、胸がざわついて……」
「夢に、亡くなった祖母が出てきました」
「部屋の空気が重たいような、不思議な感覚があります」

それは偶然ではありません。
――**ご先祖様の“声”**なのです。

みなさんは、ご先祖様の言葉を聞いたことがありますか?

耳で聞こえるものではないかもしれません。
けれど、心で感じる“言葉なき言葉”――
それは確かに、今も届いているのです。

ご先祖様は、あなたに“伝えたいこと”がある
ご先祖様の声とは、一体どのようなものなのでしょうか。

それは、雷のように強く響くものではありません。
また、誰かが背後から話しかけるような明確な音声でもありません。

けれど、ふとしたときに、
胸にじわっと広がる涙のような感情や、
なぜか“懐かしい気持ち”になったり、
遠い過去を思い出したりすることがあります。

それこそが、ご先祖様の「声」なのです。

彼らは、私たちを見守っています。
でも、それだけではありません。
伝えたいことがあるのです。

「この家を守っていってくれ」
「どうか、心を失わずに生きてほしい」
「家族を大切にしてくれ」
「今のあなたを、私は誇りに思っている」

ある人には励ましの言葉を、
ある人には警鐘を。
そして多くの方には、
「忘れないでほしい」という願いを伝えてこられます。

“声”が届かなくなるとき
しかし残念ながら、
その声が届かなくなってしまう家もあります。

たとえば――
仏壇の前で手を合わせることもなくなり、
お墓参りに何年も行っていない。
ご先祖様の名前すら、思い出せない。

そんな家では、魂の扉が閉ざされ、
ご先祖様の声は遠ざかっていきます。

でもそれは、怒りではなく、深い悲しみです。

ある日、ある女性がこう語ってくれました。

「夢の中で、知らない老女が泣いていたんです。
“どうしてこの子は……”って。
目が覚めた時、涙が止まらなかったんです。」

その“老女”は、おそらく遠いご先祖様。
声が届かず、思いが伝わらず、
でもそれでも見捨てることができなくて、
ただ静かに、泣いていたのです。

ご先祖様は、あなたの幸せを願っている
私たちは、ともすれば「先祖」と聞いても、
どこか“過去の存在”だと感じがちです。

でも違います。
ご先祖様は、今も“生きた魂”として、あなたのそばにいるのです。

喜びをともに喜び、
苦しみには心を痛め、
選択のときには静かに背中を押してくれる。

だからこそ、
“ご先祖様の声”に気づくことは、
“人生の道を見失わないための灯り”となります。

お盆は、その声に気づくための“扉”
お盆は、
ご先祖様がこの世に戻ってこられる、年に一度の“魂の再会”のときです。

「仏壇もないし、お墓参りもできない」
という方もいるかもしれません。
でも、心があれば、それで十分です。

毎晩、寝る前にほんの少し。
胸に手を当てて、こうつぶやいてみてください。

「ありがとう」
「いつも見守ってくれて、ありがとう」
「まだ未熟だけど、私は私の道を生きています」

それだけで、
魂の扉はそっと開かれ、
見えないはずの光が、あなたを包むようになります。

そして、
ご先祖様の“あたたかな声”が、
胸の奥にじんわりと広がってくるはずです。

あなたも、“声を返して”あげてください
ご先祖様が語りかけてきたなら、
どうかあなたも、その声に応えてください。

「わかっています。感謝しています。」
「時々、道に迷うけれど、ちゃんと生きていきます。」
「私を守ってくれて、ありがとうございます。」

その“言葉の返礼”こそが、
家系に流れるエネルギーを整え、
人生の流れを守り、清めてくれるのです。

供養とは、
何かを「してあげる」ものではありません。

供養とは、“心を通わせること”です。
祈りとは、
目に見えないけれど、確かに存在する“魂と魂の会話”なのです。

最後に
お盆が近づいてきました。

どうかこの時期、
ふと感じる胸騒ぎや、
ふと流れる涙、
夢に出てくる懐かしい人の姿に、耳を澄ませてください。

それは、

あなたをずっと見守っているご先祖様の“声”**です。

あなたがその声に気づくとき、
家系には光が流れ、
あなた自身の心も温もりに包まれていきます。

声はいつも、あなたのそばにあるのです。
――たとえ、言葉にならなくても。
どうか、その想いを受け取ってください。

そして、伝えてあげてください。
「ありがとう」と。
「生きているよ」と。

ご先祖様は、きっとその言葉を、涙を浮かべながら喜んでくださいます。

お盆の扉が開かれるその前に――
あなたの心の扉も、そっと開いてみませんか?