三重県伊勢市霊感霊視『心の架け橋』

伊勢の地から届ける、霊感霊視と魂の声の記録

不思議

生きているのが不思議 ― そう言われる私の体

私は、
ふと思う時があります。

「何で私は、
普通に生きているのだろう」

と。

考えてみてください。

私の心臓は――

右半分が、
ほぼ餓死している状態。

つまり、
左半分だけで動いているようなものです。

しかも、
肝心な冠動脈は全て死んでいる。

普通なら、
かなり厳しい状態です。

ですが――

心臓へは、
細く新しく出来た血管一本。

医師達が、
“神様の血管”

そう呼ぶような血管だけで、
血液と酸素を運んでいる。

それで、
私は生きている。

血管も悪い。

神経もあちこち死んでいる。

手足は、
氷のように冷たい。

痺れる。

動きが鈍い。

歩くのも、
ゆっくり。

血液もドロドロ。

薬も欠かせない。

細かく言えば、
他にも色々あります。

ですが私は――

普通に寝て。

普通に起きて。

少し歩いて。

ご飯を食べて。

仕事をして。

笑って。

対面鑑定までしている。

もちろん、
深夜になると少し息苦しい時もあります。

ですが、
それでも生きている。

不思議ですよね(笑)

私は、
よく言われます。

「生きているのが不思議」

と。

確かに、
普通なら仕事出来ないと思う。

普通に生活出来ないと思う。

ですが私は、
今もこうして動いている。

だから時々、
本当に思うのです。

命って何だろう。

人間って何だろう。

と。

私は、
人間の体とは。

そんなに強いものではないと思っています。

簡単に壊れる。

簡単に止まる。

だからこそ――

今日生きている事は、
当たり前ではない。

私は、
そう思っています。

そして私は、
命とは。

数字だけでは測れないとも感じています。

検査結果。

数値。

理論。

もちろん大切です。

ですがそれだけでは、
説明出来ない事もある。

「何故生きているのか分からない」

そう言われながら、
今も私は仕事をしている。

人と向き合っている。

不思議ですよね(笑)

ですが私は、
だからこそ思うのです。

生きられる今日を、
ちゃんと使おうと。

動ける今を、
大切にしようと。

人はいつか終わる。

私も、
それは分かっています。

ですが――

終わるその時まで。

私は、
私の出来る事をして生きようと思っています。

生きているのが不思議。

本当に、
そうなのかもしれませんね(笑)





人生そのもの

守り本尊 ― 私の命を繋いでくれている菩薩

私は、
大人になり、
働き始めてからずっと――

守り本尊のお守りを身に着けています。

今では、
体の一部のような存在です。

そして私は、
何度も不思議な経験をしています。

それは――

命の危機や、
人生の大きな危機が近づく時。

決まって、
守り本尊のお守りが消えるのです。

しかも不思議なのが――

ネックレスのチェーンは、
切れていない。

なのに、
菩薩本体だけが外れて消える。

何回もありました。

「え?」

「何で?」

と思うような消え方です。

普通なら、
チェーンが切れるはずなのです。

ですが違う。

菩薩だけが、
居なくなる。

私は最初、
驚きました。

ですが今は、
こう感じています。

守ってくれたのだと。

もちろん、
信じる信じないは人それぞれです。

ですが私は、
人生の中で何度も感じてきました。

あと一歩で危なかった。

あと少しで人生が壊れていた。

何故かギリギリで避けた。

不思議と流れが変わった。

そういう時に限って――

守り本尊が消えているのです。

私は、
守り本尊とは。

ただのアクセサリーではないと思っています。

魂の横に立ち。

人生を見続け。

危機を受け止め。

悪い流れを持って行ってくれる存在。

そんな風に感じています。

そして不思議なのは――

新しくお守りを買うと。

消えたはずの守り本尊が、
意外な場所から戻ってくる事があるのです。

「何でこんな所に?」

そう思うような場所から、
ひょっこり帰ってくる。

本当に不思議です(笑)

ですが私は、
そういう不思議を沢山経験してきました。

だからこそ、
思うのです。

守り本尊とは、
命だけを守る存在ではない。

人生そのものを守っている。

心。

流れ。

出会い。

タイミング。

壊れそうな時。

終わりそうな時。

見えない所で、
支えてくれている。

私は、
そう感じています。

だから今も、
身に着けています。

私にとって守り本尊とは――

命を繋いでくれている菩薩。

不思議な事が沢山起きる、
有難い存在なのです。




「気付いたら予約していました(笑)」

―― 最近そんな方が増えています

最近、
対面鑑定でよく聞く言葉があります。

それは――

「来るか来ないか、
ずっと悩んでいました」

「でも突然、
予約してしまったんです(笑)」

です。

“してしまった”

って(笑)

誰かにされたの?(笑)

と、
思わず笑ってしまいます。

ですが、
本当に最近多いのです。

ずっと迷っていた。

行こうかな。

どうしようかな。

まだいいかな。

でもある日、
突然ポチッと予約していた。

気付いたら来ていた。

そんな方が増えています。

不思議ですよね。

でも私は、
人生ってそんなものだと思っています。

本当に必要な時って――

頭で決めるというより。

“流れ”

で動く時がある。

ずっと止まっていたのに。

急に動く。

急に決まる。

急に会いに行こうと思う。

そういう事があります。

そして最近は――

「こんな悩みで行っていいのかな」

そう言いながら来られる方も、
とても増えました。

ですが私は、
それで良いと思っています。

むしろ――

大きく壊れる前。

限界になる前。

思考が暴走する前。

早めに来てくださる方が、
流れは整いやすい。

人は、
限界まで我慢し過ぎるのです。

「まだ大丈夫」

「このくらいなら」

「もっと苦しい人いるし」

そうやって、
どんどん後回しにしてしまう。

ですが――

小さな違和感。

小さな不安。

小さな迷い。

実はそこに、
人生のズレが出始めている事もあります。

だから私は、
気軽に来てほしいと思っています。

重い相談じゃなくても良い。

泣きながらじゃなくても良い。

整理出来てなくても良い。

「なんか気になった」

それだけでも良いのです。

最近の
「気付いたら予約していました(笑)」

私は、
結構好きですよ(笑)

対面鑑定。

そんなに構えなくて大丈夫です。

気軽に、
ふらっと来てくださいね。





「命の別名」―― 生きるとは、ただ強いだけではない


命の別名

この歌を聴くと――

私は、
「生きる」

という事の本当の意味を考えます。

世の中はよく、
強さを求めます。

頑張れ。

負けるな。

前を向け。

もっと動け。

もっと笑え。

ですが人は、
そんな日ばかりではありません。

動けない日もある。

心が沈む日もある。

体が言う事を聞かない日もある。

理由もなく涙が出る日もある。

そして――

「生きているだけで精一杯」

そんな時もある。

ですが私は、
この歌を聴くと感じるのです。

命とは、
ただ元気に生きる事ではない。

苦しみながらでも。

迷いながらでも。

休みながらでも。

泣きながらでも。

それでも今日を生きている。

それが、
命なのだと。

私は、
体が弱い方や。

心が疲れている方と、
沢山関わってきました。

すると皆さん、
どこかで自分を責めています。

「普通に出来ない」

「迷惑をかける」

「もっと頑張らなきゃ」

ですが――

私は思うのです。

生きる事とは、
競争ではない。

元気な人が偉い訳でもない。

強い人だけが価値ある訳でもない。

弱さを抱えながら。

不安を抱えながら。

それでも今日を越えている。

それは、
とても凄い事なのです。

「命の別名」

このタイトルも、
私は深いと思っています。

命には、
色々な名前がある。

愛。

孤独。

涙。

優しさ。

痛み。

希望。

絶望。

人は、
様々な感情を抱えながら生きています。

だからこそ、
命は重い。

簡単ではない。

ですが――

だから美しい。

私は、
そう思っています。

この歌は、
ただ励ます歌ではありません。

「無理に強くならなくていい」

そんな風に、
静かに寄り添ってくれる歌です。

だから今、
苦しい方へ伝えたい。

休みながらでいい。

ゆっくりでいい。

泣きながらでもいい。

あなたは、
ちゃんと生きています。
私も同じですよ。

それだけで、
本当は十分凄いのです。






この歌を聞くと‥‥

「昭和枯れすすき」―― 人生の寂しさと、それでも離れなかった愛

昭和枯れすすき

この歌を聴くと――

私はいつも、
“人間の現実”

を感じます。

華やかではない。

綺麗事でもない。

夢ばかりでもない。

苦しい。

貧しい。

報われない。

そんな、
昭和の空気。

ですが――

だからこそ、
心へ刺さるのです。

「貧しさに負けた
いえ 世間に負けた」

あまりにも有名な歌詞です。

ですが私は、
この歌は。

ただ暗い歌ではないと思っています。

本当に深いのは――

“それでも二人で生きている”

ここなのです。

人生とは、
思い通りにならない。

愛していても苦しい。

頑張っても報われない。

世間は冷たい。

お金もない。

未来も見えない。

ですが、
それでも隣にいる。

それが、
この歌の凄さだと思うのです。

今の時代。

苦しくなると、
すぐ切られる関係も多い。

損得。

条件。

気分。

都合。

ですが昭和の時代には――

“支え合って生きる”

という愛が、
確かにあった。

もちろん、
綺麗事ばかりではありません。

怒りもある。

不満もある。

疲れもある。

ですが――

それでも離れなかった。

そこに、
昭和の愛の重さを感じます。

私は、
枯れすすきという言葉も好きです。

風に揺れる。

細い。

弱そう。

今にも折れそう。

ですが、
完全には折れない。

人間も同じです。

人生に疲れ。

世間に傷つき。

ボロボロになっても。

それでも、
生きている。

それでも、
誰かを愛している。

それが、
人間なのだと思います。

だからこの歌は、
今でも消えない。

時代が変わっても、
人の心へ残り続ける。

何故なら――

人は皆、
心のどこかで。

「一人では生きられない」

と、
知っているからです。

昭和枯れすすき。

それは、
昭和の歌でありながら。

今を生きる人間の心にも、
深く刺さる歌なのだと思います。





守り本尊とは ― お寺にいるのか。神社にはいないのか。

守り本尊とは、
基本的には――

「仏様」

です。

ですから本来は、
お寺との縁が深い存在になります。

例えば。

虚空蔵菩薩。

不動明王。

観音菩薩。

阿弥陀如来。

薬師如来。

こうした仏様達が、
干支や魂の流れに応じて、
人を守る存在として付いてくださる。

それが、
守り本尊の考え方です。

なので全国的に見ると――

守り本尊は、
お寺におられる事が多い。

これは確かです。

ですが――

ここからが、
とても深い話です。

日本は元々、
神様と仏様が共に存在してきた国なのです。

今のように、
完全に分けられていた訳ではありません。

昔の日本は――

神仏習合。

神様と仏様が、
共に人を守る形でした。

だからこそ。

神社の近くに寺があり。

寺が神を祀り。

神社に仏の力が流れている。

そういう場所が、
日本には沢山存在しています。

そして私は、
伊勢という場所で、
それを強く感じています。

天照のお膝元。

伊勢神宮。

その鬼門を守るように存在する、
朝熊山 金剛證寺。

ここには――

天照と共にある虚空蔵菩薩。

その空気を私は感じています。

だから私は、
単純に。

「神社だから仏はいない」

「お寺だから神はいない」

そういうものではないと思っています。

もっと深く、
繋がっている。

もっと大きく、
共に守っている。

そう感じています。

守り本尊とは、
ただの仏像ではありません。

魂の横に立ち。

人生を見続け。

壊れないように支え。

ご先祖様達とも力を合わせながら、
人を守っている存在。

私は、
そう感じています。

そして私は、
皆さんへ伝えたいのです。

あなたも――

ご自身の守り本尊を知ってください。

そして。

その守り本尊がおられる場所へ、
ぜひ出向いてみてください。

遠くでなくて良いのです。

全国にあります。

あなたの街にも。

近隣の街にも。

そこで良いのです。

手を合わせる。

静かに座る。

少し空気を感じる。

それだけでも、
不思議と心が穏やかになる事があります。

守られていた。

支えられていた。

一人ではなかった。

そんな感覚が、
ふっと入ってくる事もあるのです。

そして、
とても美しい事があります。

それは――

大切な人へ、
その人の守り本尊のお守りを購入し、
手渡す事。

これは、
とても有難い行いなのです。

何故なら。

“想いを込めて渡された守り本尊”

には、
不思議な力が宿る事があるからです。

そのお守りは、
時として――

身代わり

となってくださる。

もちろん、
ここで言う身代わりとは。

ただ命だけの話ではありません。

人生の中で現れる、
様々な危機です。

あと一歩で事故だった。

あと一歩で壊れていた。

あと一歩で人生が狂っていた。

出会わなくて良いものを避けた。

行かなくて良い流れを避けた。

不思議と守られた。

そういう事があります。

私は、
守り本尊とは。

人生全体を見守りながら、
人を支え続けてくださる存在だと思っています。

そして以前――

虚空蔵菩薩の元へ行き。

大切な人の守り本尊のお守りを購入し。

その方を思いながら、
手渡された人がいました。

私は、
とても素敵だと思いました。

「守ってほしい」

「無事でいてほしい」

「幸せでいてほしい」

その想いを込めながら、
手渡す。

それは、
ただのお守りではありません。

愛が入った、
守りの贈り物なのです。

私は、
こういう行いが好きです。

優しさがある。

温かさがある。

そして、
見えない力だけではなく。

“人の想い”

が確り入っている。

だからこそ、
守り本尊も動いてくださるのだと、
私は感じています。

あなたも――

大切な人へ。

その人の守り本尊のお守りを、
想いを込めて渡してみませんか。

きっとそこには、
言葉以上の守りが入っていく。

私は、
そう思っています。






悪霊が何匹もついている――そんな言葉に苦しまないでください

最近、
私の所へ来られる相談の中で、
とても多くなっている話があります。

「悪霊がついていると言われました」

「何匹もついていると言われました」

「除霊しないと危ないと言われました」

「言われるままに買いました」

「除霊を受けました」

「でも何も変わりません」

「むしろ余計に苦しくなりました」

こういう相談です。

藁をも掴む思いで来られます。

怖かったのだと思います。

不安だったのだと思います。

誰かに助けてほしかったのだと思います。

ですが私は、
はっきりお伝えします。

そんなに簡単に、
悪霊が人間へ取り憑き、
人生を狂わせる事はありません。

何匹もついている。

このままでは危ない。

除霊しないと不幸になる。

私は、
そうやって人を怖がらせる言葉が、
とても嫌いです。

何故なら、
本当の原因を見えなくしてしまうからです。

苦しみには、
必ず原因があります。

疲れ。

人間関係。

家庭の問題。

恋愛の不安。

仕事の限界。

過去の傷。

思考の癖。

環境のズレ。

我慢のし過ぎ。

魂が進みたい方向と、
現実が噛み合っていない苦しさ。

そこを見なければいけないのです。

それなのに、
すぐに悪霊のせいにしてしまう。

それでは、
何も変わりません。

除霊をしても変わらない。

物を買っても変わらない。

それは当然です。

本当の原因に触れていないからです。

人間は、
そんなに弱い存在ではありません。

神様。

仏様。

守り本尊。

ご先祖様。

魂。

人には、
見えない守りがあります。

そんな簡単に、
悪いものが入り込み、
好き勝手に人生を壊せるなら。

この世は、
とっくにおかしくなっています。

だから、
怖がらないでください。

「悪霊がついている」

その言葉を、
そのまま信じ込まないでください。

あなたが苦しいのは、
悪霊のせいではないかもしれない。

本当の原因は、
もっと現実の中にあります。

もっと心の奥にあります。

もっと人生の流れの中にあります。

だからこそ、
確りと原因を見つけてください。

怖がらせる人ではなく。

依存させる人ではなく。

高額な物を売りつける人ではなく。

あなたの苦しみの根を、
一緒に見つけようとする人を選んでください。

不安な時ほど、
人は信じてしまいます。

だからこそ、
気を付けてください。

あなたは、
悪霊に壊されているのではありません。

原因が分からないまま、
恐怖だけを入れられている可能性があります。

本当に必要なのは、
恐怖ではありません。

除霊でもありません。

まずは、
原因を見つける事です。

そこから、
人生は整い始めます。