「宣告」
病名を告げられる。
私は幾度も救急車で搬送され、手術もしてきました。
そして、またもや、緊急搬送。
在り来りでその場で入院。そして検査。
検査結果が分かりこの先の事を告げられる。
検査結果は。手術は不可です。理由・・・・・・。。。。。。。。との事。
ただ、入院しているしかない。要は死を待つしかない。
こんな検査結果を誰が受け止められますか。私は病院側と大喧嘩して、無理やり退院、他の病院へと移り、再検査。結果は、98%成功はしない。どうしますか。手術の成功確率は2%、どうしますか。。と告げられる。
あなたならどうしますか。
何もしないでも死を待つだけ。どうせ死ぐのなら早く死にたい。私は手術を選びました。
手術当日、私は一番最後に会いたかった人は来てはくれなく、寂しいこの世とのお別れの時と思いました。そして、部屋から1人で手術室まで歩いて行く、自動ドアを2ヵ所。そして、手術室の部屋。私はベットに横たわり、麻酔の先生を待ちました。
この世の最後の瞬間。
そして、目が覚めた。ここはどこなのか。。。
体に8本の管が刺さっている。ここは、この世。まだ生きている。
手術は成功なのか・・・・・・
かすかにきこえる声。 私は生きているが収まらない様子。やはり死ぬのか。
そして、行き成り気持ち悪くなり、吐いた。緑色の血。洗面器に一杯の血。
これには驚いた。誰もが見たことのない緑色の液体。それから意識がなくなり、この世とあの世をさ迷った。4日程さ迷った。
その時に私は三途の川にいた。ハッキリ覚えている三途の川。
そして、生き返ったのだ。
奇跡の生還。たぶん3回目の奇跡だった。
心臓は半分が餓死、血も酸素も体の隅まで行かなく体は不自由となるが生きている。
これで良かったのか。悪かったのか。
宣告。宣告されてから現実は変わる。過ぎてみないと分からない現実。
それから数年後、私は別の病気で死か足を失うか。
足を失うなら死んだほうがましだ。足の切断を許さなかった私。
しかし、足の指3本と甲を骨がでるまで抉られた。
それから一ヶ月間か、足の切断と命の取り合い。私がゆるしたのは、足の甲までの切断。そして、手術前夜、治療ミスにて手術が延期となり、違う先生との出会いで切断を免れる。生きている。足がある。その足の治療が今も続いている。一年が過ぎた。でも、足も命もある。
またもや奇跡が起きたのです。何回奇跡が起きたか。。。。
私は奇跡を起こす。
全て、もうどうなっても受け入れます。
と、心を確り決めると奇跡とは起きる。
こんな私でも心を確り持つと奇跡とは起こる。
そして、女性の病気の方々、今年は多いのです。手術となられた方々、しなかった方もいます。結果が出るまでの苦しさ。相当な苦しさだったと思います。
でも、結果が出たら受け入れている。結果がどうであれ受け入れている。
素晴らしいですよね。受け入れたから、今がとても良い。体も心も安定してきていてる。心が先に安定している。素晴らしい。ご先祖様達が必死で心をお守りしているのですね。心の安定が出来れば体は完治する。
例え、少しぐらい体が変わっても心が安定すればよい。
大切な、大切なあの人も心が安定している事を祈る。願う。体の変化は関係ないのです。
体の一部が変わってしまう病気、女性の方が辛いですけど。
自分でそのようになっても、他の方を。同じ病気の方を励ませる。とても出来ない事です。でも、励ましている。それは、一番つらい事を経験したから出来る事。
どんな時にも人の為になれる。
昨日は男性が来ました。余命宣告を受け入れて帰られました。辛いでしょう。どれだけショックか。私は経験しましたので分かります。
経験したからこそ分かる辛さ。その励ましは本物なのです。
今も病気治療の皆様、検査結果待ちの皆様、頑張ろう。私も頑張って生きています。超えられる試練しか来ません。辛いけど、なんで私なのと思うけど。
私でも超えられた。沢山の方々も超えられている。頑張ろう。
周りをみれば、大切な人が沢山いる。